アンデス山脈の奥の小さな村

ボリビアのアンデス山脈の奥にある小さな村に2日間滞在しました。

その村の名前は、「Tuni チュニ」

この小さな村の家では、
携帯電話は圏外です。
テレビもありません。
もちろん、Wi-Fiもありません。
電気が使えるのも夜19時から21時の間だけ。

そこにあるのは、ゆったりと変わりゆく天気と、のんびりと歩くアルパカと
一緒に暮らす家族の生活と笑い声だけ。

そんな静かで穏やかな村で暮らす、家族のお家にお邪魔させていただきました。

滞在先付近の地図

アンデス山脈に囲まれた村。
富士山の標高を軽々と超えた沢山の山に囲まれています。

周辺の代表的な山は以下の通り。


Condoriri コンドリリ 5,762 m
Huayna Potosí ワイナポトシ 6,088m


日本の最高峰が「3,776mの富士山」と伝えると、
「それは山じゃなくて、丘だね」と笑われました (笑)


首都ラパスからのアクセスイメージ

首都のラパスから、車で1時間半程の場所に位置しています。

<注意⚠️>

実は、私たちの滞在期間は100%心地良いものではありませんでした。
従って、大変残念ですが、同じ体験をすることをお勧めできません。

理由は別記事にて記載予定です。

アンデス山脈の奥の小さな村で暮らす家族

私たちを迎え入れてくれたのは、アンドレさん一家です。

Facebookの「ボリビアバックパッカー」のページから情報を探し出し、
ボリビア人の家族のお家にお邪魔できると聞いて連絡したのがきっかけでした。

アイマラ族の一家です。

◾️ 参考メモ

アイマラ族とは、ペルーとボリビア国境のチチカカ湖周辺を中心に,高度 3500m以上の高原地帯アルティプラノに住む先住民。

アンドレはアイマラ語・スペイン語・フランス語が話せます。
私たちは、アイマラ語は全く話せず、スペイン語もカタコトだったので、フランス語でコミュニケーションを取りました。

アンドレは、家族5人で暮らしています。
妻と、息子、息子の妻、そして孫。

元々、アンデス山脈の登山ガイドをしていた方で、
クライアントにフランス人が多かったことからフランス語を勉強して話せるようになったそう。

彼のフランス語のアクセントが、私の大学時代のベトナム出身の女の子のアクセントにそっくりで、
学生時代を思い出してしんみりしていたのは、ここだけの話。

アイマラ族の伝統衣装を着ながらドローンを飛ばすズン

アンデス山脈の奥の小さな村の景色

標高4,000mを超える渓谷、6,000mの山頂には樹木がほとんどなく、四方に草原と丘陵が続いています。

私たちが訪れたのは2023年8月。8月は乾季が続くボリビア。
小さな村を囲む、草原は全て褐色に日焼けていました。

小さな村で暮らす家族は、どの家庭もラマとアルパカを育てています。
草原を見渡すと、丘の上、川の側、あちこちに草を食んでいるラマとアルパカを見ることができます。

見渡すとあちこちにラマとアルパカの姿
一生懸命草を食べ続けるアルパカ、奥にはアンデス山脈が広がる
◾️メモ

ラマとアルパカは、毛皮や食肉を目的に飼育されています。

朝にラマとアルパカを山に放ち、日が暮れる頃に帰ってくるよう合図をします。

どの群れにも、「リーダー」となる雄がいるそうです。
その雄が帰ってくれば、その他のラマ・アルパカ達も帰ってきます。

人口密度が非常に低いため、草がなくなってしまうことや、
ラマ・アルパカ達を泥棒に盗まれることも、心配する必要は無いようです。

平和な暮らしの様子をズンがビデオにまとめました。
雄大な自然の美しさと、そこで暮らす人々の生活を少しでも感じていただければ幸いです。


最後に

私たちはよく登山をするので、日本でもごく稀に「水道も無く、電波もなく、現代技術が遮断された自然だけの空間」に行くことがあります。
ただ、登山は一時的なものです。一時的にその環境に「居る」ことと、「暮らす」というのは異なります。

いつもの携帯やパソコンでの作業もできず、動画を見て楽しむこともできず、
手元にある電子書籍を読むほかにやることがない、時間がただ有り余るような感覚でした。

皆さんも時々、チュニのような環境に身を置くと、
デジタルデトックスができて日々の忙しさから離脱する経験ができるかもしれません。


さて、上段で記載した「心地よい体験ではなかった」というコメントの詳細は、
また別途異なる記事で紹介したいと思います。



では、また!🇧🇴