ボリビアのアンデス山脈に抱かれた、小さな村を訪れました。
南米の最貧国とも言われるこの国で、ホームステイ形式の宿を営む一つの家族と出会いました。
その村で私たちは、首都ラパスの数倍にあたる滞在費とタクシー代を支払うことに。
小さな村を応援したいという気持ちと、あまりに高い料金に戸惑う気持ち――その相反する感情を正直に綴ったのが、この記事です。
果たして私は、素朴な村の暮らしにささやかな貢献をしたのか。
それとも、したたかなビジネスマンにうまく稼がせただけだったのか……。
ボリビアで感じなかった「最貧国」:円安と物価高
ボリビア – 南米の最貧国
ボリビアは、時に「南米の最貧国」と呼ばれることがあります。
ボリビアは錫や天然ガス等の天然資源に恵まれながら、同国の歴史を通じて富の不平等な分配が続いた結果、南米の最貧国となっている。多民族・複合文化の国であることに加え、高山地域、渓谷地域及び熱帯低地からなる複雑な地形及び内陸国であることが国の発展において大きな阻害要因となっている。
外務省 データブック – [30] ボリビアより引用
ボリビア – ラパスの価格帯
しかしながら、街中の価格も「最安」なのかというと、そうでもありません。
例えばサイゼリヤや日高屋などの日本の最安値レストランの方が、安い場合があります。
私たちが訪れたボリビアのレストランの内のいくつかをご紹介します。




確かに、日本よりは安いのですが、「最貧国」と呼ばれる国の物価と日本の物価があまり変わらない現実に、なぜだかもどかしい気持ちになる今日この頃です…
ボリビアで感じた「ぼったくり」
「観光客はお金を持っている」と思っている人が沢山います。
「外国人だから、高めに請求しよう」と考えている人が沢山います。
世界旅行をしていると良くあることです。
ボリビアでは、何かを購入する時、全てがまず価格の確認と交渉からスタートする印象を受けました。
特にバスのチケットの料金は、現地の人が支払う価格と外国人向けの価格が大きくに異なる場合が多々ありました。
(もちろん価格に納得した場合や、看板に正規の値段が記載されている場合などは、価格交渉は不要です。)
さらに、私が出会ったボリビア人のほとんどが英語を話すことができませんでした。
そのため、毎回スペイン語で値下げ交渉をしなければならず、食事をするだけでも次第に疲れを感じるようになりました。
まさに「ぼったくり疲れ」です。
◾️「ぼったくり疲れ」とは?
何に対しても高めの価格を提示され、
常に「ぼったくりの対象」として扱われてしまうこと。
そして、買い物の度に繰り返される値段交渉に、心が少しずつすり減って疲れてしまう現象です。
(筆者の造語です笑)
本当は、南米の最貧国と言われるボリビアに寄付をするつもりで、高めの価格を払っても良いのかもしれません。
ただ、私たちの全く財布が痛まないと言うわけでもないので、毎回ぼったくりにお付き合いするわけにもいきません。
正直、ボリビア旅に疲れてしまった私たち。
そんな中見つけたのが、アンデス山脈のとある家族のお宅にお邪魔するホームステイサービスでした。
常に「ぼったくり対象の外国人観光客」として扱われることに疲れていたので、ホームステイという言葉に魅力的に感じました。
ホームステイ先でも外国人観光客であることは変わりませんが、ボリビア人の家族と一緒に過ごせるという事が嬉しかったのです。
アンデス山脈の小さな村で暮らしている家族のお家を訪ねました。
「お家」と言っても、観光客が宿泊できるように設立された宿でした。
すべては、ズンがFacebookで見つけた一件の投稿から始まりました。
彼がその情報をもとにオーナーのアンドレに連絡を取ったのです。
アンドレは英語が話せず、私のスペイン語もまだ拙かったため、最終的にフランス語で会話をすることになりました。
(幸いなことに、アンドレはフランス語が上手でした!)
小さな村での暮らし
アンデス山脈の小さな村での暮らしの様子は、別記事でご紹介しました。
滞在期間の様子がどんなものであったか気になる方は、こちらの記事をご覧ください!😄
小さな村でのお支払い
最寄りのバス停から家までの交通費
さて、アンドレの家に行くために、ラパスからコレクティーボに乗って、待ち合わせの場所まで向かいました。
ラパスの中心から、待ち合わせ場所までの交通費は、10ボリビアーノ。
日本円にすると、210円です。
そこで待っていてくれたアンドレが私たちをピックアップしてくれました。
その場所から、アンドレの家までの交通費として、150ボリビアーノを請求されました。
日本円にすると、3180円です。
その時は、心快く払ったけれど、ふと考えると、やはりちょっと高い気がします。
アンドレの家まで彼の車以外の公共交通機関があるわけではありません。
彼の車に乗る以外、彼の家にはたどり着けないので、他の手段はないのですが…
そうして、私たちは無事、アンドレの家に着きました。
家から山までの交通費
アンドレの家の周りには、沢山の山があります。
アンドレはそれらの山への登山を進めてくれました。
オススメされた山の例
- Condoriri コンドリリ 5,762 m
- Huayna Potosí ワイナポトシ 6,088m
私たちは、首都ラパス標高3,800mでの街散歩で息切れしていたので、5,500~6,000m級の山に挑戦することは断念し、アンドレのオファーはお断りしました。
ただ、登山のツアーの参加で新たな収入が見込めないことを悟ったアンドレは、急に冷たい態度になったような感じがしました。
ちなみにツアーの金額は、正確に覚えていないのですが、2名で20,000円程だったと記憶しています。
注意
あくまで、筆者の主観的な意見です。
もしかしたら、態度が変わった訳ではなかったのかもしれません…
その代わり、私たちは近くの湖に行くことにしました。
すると、「ガイドして欲しかったら、一緒に同行するよ」とアンドレの息子が提案してくれました。
ちなみに、この時、ガイドの金額も提示されました。
ガイドの金額も、正確に覚えていないのですが、2名で10,000円程だったと記憶しています。
湖までの道は一本道で、特段難しい経路ではないので、ガイドは丁重にお断りしました。
するとさらに「往復歩くのは大変なので、途中まで車で送ってあげる。」とアンドレの息子が提案してくれます。
タクシー料金は、片道50ボリビアーノだそうです。
日本円で1,050円です。
この時点で徒歩で往復した場合、日が暮れてしまうかもしれない時間帯でした。
日が暮れてから知らない山を歩くのは危険なので、片道だけ車に乗せてもらうことにしました。
「帰りは自分で帰ってきてね」と言われていたので、帰りは歩いて帰りました。
家の滞在費
1泊2人で300ボリビアーノです。
日本円で6470円です。
2泊したので600ボリビアーノ
日本円で12,720円です。
ちなみに、同じくらいのグレードのホテル(※ただし電気あり、Wi-Fiあり)
首都ラパスでは1泊2人で100ボリビアーノでした。
日本円で2,156円です。
首都のホテルの価格の3倍だね
家から首都ラパスの交通費
そして、ついに帰る日が来ました。
「短い間だったけど、ありがとう!」
アンドレは、ラパスのとある駅まで送ってくれると言います。
250ボリビアーノです。
日本円で5,300円です。
うーん、ちょっと高い!
「次のホテルの都合から、別の駅に送ってもらえないかな?」と聞くと、
「追加料金で60ボリビアーノかかるけど大丈夫?」と言われました。
追加料金は、日本円で1,200円です。
「あ、じゃあ大丈夫、予定の駅に降ろしてもらえればいいです。」と伝えました。
心がもやもやする原因
滞在費用の支払いをアンドレに言われた通りの金額を、特に価格交渉をせずに支払いました。
今振り返れば、少し話し合ってみてもよかったのかもしれません。
ボリビアを旅をしていると、数年前に書かれたボリビア旅行に関する記事やガイドブックに記載された物価よりも、全てが値上がりしていました。
コロナ禍の影響もあり、直近でも全ての物価が上がっているようでした。
アンドレのFacebookに記載されていた価格は、数年前に投稿されていたもの。
アンドレの家も、生活費の高騰に伴い、やむを得ず値上げをしていたのかもしれません。
「小さな村の発展のためになるなら、多少多くお金を払ってもいいかもしれない。」
そう思い、私たちは値段交渉もせずに、すべての金額を提示された金額を支払うことに決めました。
アンドレは、とても、喜んでいるように見えました。
私は「少し高いな」と感じながらも、それは表に出さず、彼には笑顔でお礼を伝えました。
提示した金額通りのお金が手に入ってあからさまにご機嫌なアンドレは、「ぜひ地元のマーケットを見てほしい」と提案し、ラパスに向かう前に、私たちを車に乗せて別の村に向かうことになりました。
その道中、「家に立ち寄ってマーケットに行く準備をするから。ちょっと待っててね」と言われて、
自宅前で車を停め、私たちはおよそ30分ほど待つことになりました。
そこで私は、アンドレにはもう1つ家があることを知りました。
待ちながら家の周りを見渡すと、同じ敷地内に3件のお家が建っています。
その奥にはもう一つガレージのような建物。
中を覗くと、車が3台止まっていました。
私たちが乗ってきた車、家族が乗ってきた車を合わせると、
アンドレは計5台も車を所有していたのです。
そして、洗濯物が干された生活感のある光景から察するに、
チュニで私たちが滞在した家は、観光客用に整えられた宿泊施設だったのだと察しました。
彼らは、「ホームステイ」と言いつつ、チュニの家にはほとんど住んでいないのだろうと想像します。
そして、紹介してくれた「地元のマーケット」では、孫が「欲しい!」というオモチャを次から次に買い与えていたアンドレ。
日本円にして、1つ600円のものを複数個買ってあげていました。
もちろんお金の使い方は彼の自由なんだけど、うーん….
私たちはあの時、素朴な小さな村の暮らしに貢献できたのだろうか。
それとも、したたかなビジネスマンを稼がせただけだったのか…?
悩ましくも、忘れられない3日間でした。
それでは、また!🇧🇴