アメリカ滞在中に、現地の老人ホームや墓地を訪問する機会がありました。
その期間に筆者が感じた「戦争が功績となる社会」について、書き起こしてみます。
戦争が功績となる社会を垣間見た3つのエピソード
「戦争が功績となる社会」と感じた、3つのエピソードをご紹介したいと思います。
現役時代:軍人である事への誇り
アメリカ滞在期間中、老人ホームにお邪魔する機会がありました。訪問したその施設で、80代〜90代のアメリカ人のお年寄りに出会いました。一緒にお喋りする機会があった数人の内、2名の方をご紹介したいと思います。
アメリカ社会では、「軍人であること」は、大変誇らしいことであるようです。
祝日として、戦没将兵追悼記念日 Memorial Dayや退役軍人の日 Veterans Dayが設定されており、そこでは大統領も含めて国民が軍人に対して敬意を払います。軍隊の仕事は、社会的に尊敬される職業と考えられているようです。
2人のおじいさん・おばあさんは、戦争の話をしていたわけでも、軍隊の話をしていたわけでもなかったのですが、自然とそれぞれのエピソードを語り始めました。自分の人生を語る際に、一番最初に話したいことが「自分自身の参戦経験」と「息子が軍隊で働いている事」だったわけです。
ちなみに…
軍人に敬意を払う祝日があるのは、アメリカだけではありません。
筆者がパッと思いつくだけでも、フランス、ベルギー、スイス、イギリス、ロシア、ベトナム等、他の国にもあります。
日本では、戦争で亡くなった人を悼む日としては、祝日ではありませんが、8月15日の「終戦の日」が挙げられます。
退役時代:軍出身者への手厚い保障
軍人とその配偶者は、手厚い保障を享受する事ができます。戦争に参戦した実績がある退役軍人の方が、戦争に参戦していない退役軍人より手厚い保障となります。実際に戦争に参戦した軍人は手厚い年金を給付され、亡くなるまで一生その制度を活用できます。
また、老人ホームの施設の方の話によると、本人または配偶者が軍隊出身であることは「ラッキー」であるようです。一般のお年寄りがお金の扱いを誤ると生活苦になる可能性もあるのに対し、退役軍人とその配偶者は国の手厚い保障のおかげで、経済的に困窮する事はまず無く、安心して老後を過ごす事ができるとのことでした。
死後:墓石の功績に「参戦」
戦争に参加したことは、「功績」となります。
親戚のお墓参りをした際、近隣の墓石に戦争への参加を功績として刻んでいるのを多く見かけました。
実際に記載してあった戦争の名前
戦争で亡くなったから、戦争の名前を刻んでいるのでは?
と、思った方もいるかもしれません。
ただ、墓石に記載されている年号を見ると、戦争が原因で亡くなったわけではないことが分かります。
人生を終えた時、その人を顕す単語として選ばれた言葉が「戦争参戦」というわけです。
戦争参戦を誇りに思っているアメリカ人に覚えた違和感
前提
私のパートナーはベトナム人なので、私はベトナム視点の歴史を学び、近代史の理解を深めました。さらに細かくお伝えすると、北ベトナム視点の歴史を学びました。その影響もあり、戦争の歴史を取り上げる場合、アメリカの行為を批判的な視点で捉える事が多いです。
アメリカ軍によるベトナムの一般市民の殺戮は悲惨なものでした。例えば、一般市民が暮らすハノイ市全体への大量爆撃(北爆)、枯葉剤による攻撃(枯葉作戦)などが挙げられます。
2023年9月現在継続しているウクライナ戦争に関して、アメリカが「ロシアは非人道的だ。」というコメントを発していますが、私は不信感を抱きます。正しいコメントであるとは思いつつも、「アメリカはそんなことを言える立場なの?」と、アメリカが侵してきた戦争犯罪の数々を鑑みると矛盾したコメントであると感じています。第二次世界大戦中の日本に対する空襲や原爆投下等のアメリカの行為は、『民間人に対しての殺戮』であり、国際法違反、すなわち戦争犯罪であった事を、ここで言及しておきたいと思います。(敗戦国の戦争犯罪は問題とされますが、戦勝国の戦争犯罪は基本的に常に免罪です。)
参考:「戦争犯罪」という言葉に馴染みがない方のために、Wikipediaの記述を引用します。
戦争犯罪とは、狭義には戦争に関する法(国際法など)に違反する行為(交戦法規違反)と戦時反逆罪(作戦地・占領地内における非交戦者による利敵行為)を意味し、広義には交戦法規違反に加え平和に対する罪・人道に対する罪を含めた概念を意味する。
Wikipedia アメリカ合衆国の戦争犯罪 | https://ja.wikipedia.org/wiki/アメリカ合衆国の戦争犯罪
具体的には、他国に対して侵略戦争を仕掛けたり、敵兵・捕虜に対して非人道的な扱いをすることなどである。また、民間人に対しての殺戮・追放・逮捕など、紛争や混乱の誘発や報復感情の拡大の原因となる行為と言動も、戦争犯罪であるとされている。(以上「戦争犯罪」の項より引用)
戦争に参戦し、他者に危害を与えた事を人生の誇りとする社会で良いのか
老人ホームのおじいさん・おばあさん達は、皆さん朗らかで優しい方でした。私たちとすれ違う時は、いつも和かに挨拶してくださいました。
そんな優しいおじいさんの1人、「補聴器をつけた和かな優しいスラリとしたおじいさん」は、自己紹介を少しした後に、ベトナム戦争にB52を操縦して参戦していたことを語りはじめました。目の前にベトナム人がいるにも関わらず、誇らしげにパイロットとして参戦した事を語り出したのです。
私は、衝撃を受けました。
おじいさんが操縦していたであろう機体:ボーリングB52戦略爆撃機
爆弾を投下するアメリカ空軍のボーイングB-52戦略爆撃機
Wikipedia ベトナム戦争 | https://ja.wikipedia.org/wiki/ベトナム戦争
ベトナム戦争に参戦して、B52を操縦していたならば、残虐にも大勢の民間人を殺すミッションを担った可能性が高いです。
終戦後に自分が参戦した戦争の意味はなんだったのか、自分が参戦した戦争でどれほど現地の人が被害を受けたのか、全く知ろうとしないのでしょうか?
もしかしたら、目の前にいるベトナム人の家族を自分が殺してしまった可能性は想像しないのでしょうか?
もしかしたら、彼は、数分前に伝えた「ズンがベトナム人である」という情報を忘れてしまっていたかもしれません。
実際、老人ホームの皆さんは、お年を召している事もあり、同じ話を何度もされたり、同じ質問を何度もされたりすることもありました。
例えば、とあるお婆さんには「日本でどんな仕事をしているの?」と3回聞かれました。
もしかしたら、戦時中は与えられたミッションを達成するために行動していたのであって、ベトナムの歴史背景やベトナム人が被った被害等は、彼にとっては全く関係なかったのかもしれません。
映画「トップガン マーヴェリック」を思い出しました。
「トップガン マーヴェリック」の映画では、”敵国”に関する情報がかなり少なく、
「倒すべき敵」「相手の行為を止める」としか言及されていませんでした。
ミッションを担ったアメリカ人のメンバー達は、命懸けでそのミッション達成を目指しますが、
”敵国”が受けた被害や、今後の”敵国”の動きや政治などは一切語られません。
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ベトナムは、戦争に勝利したにも関わらず、アメリカからの賠償金は無く、さらにはアメリカから経済制裁をかけられた歴史があります。戦争で苦しんだベトナムの民間人の補償はないのに、民間人を殺したアメリカ側は、亡くなるまで手厚く補償されるとは…なんとも皮肉なものです。
彼がいつか亡くなった時には、墓石に「ベトナム戦争参戦」と功績として刻むのだと思います。
アメリカが、「参戦したことを誇りに思わせてくれて、且つ参戦した人を大切に保障してくれる社会」なんだと改めて痛感しました。
戦争が無くならない理由が少し見えたような気がして憤りを覚えた筆者ですが、一方で、そのおじいさんには、ベトナム戦争の被害のことなどは一切話しませんでした。また、ベトナムの歴史博物館に、アメリカのB52がひっくり返っている写真を彼に見せませんでした。
おじいさんに見せようか一瞬頭を過った写真
写真:DAN TRIより | https://dantri.com.vn/xa-hoi/muc-so-thi-mig-21-do-pham-tuan-lai-tung-ban-roi-b52-1356763235.htm
ベトナム軍事歴史博物館の展示:追撃されたアメリカのB52
90歳近い彼にそれを伝えたところで、彼の人生を否定してしまうことになるし、穏やかな日々を老人ホームで過ごしている彼が傷ついてしまうかもしれないと考えたからです。
私がもし、彼だったら。その時代のアメリカに男子として生まれていたら。
私も高校を卒業してから同じように入隊し、ベトナム戦争でB52を操縦していたかもしれません。
社会や政治が作り出す「当たり前」を前提に生きていくのは、どの国でもどの時代でも同じことだと考えています。なので、ベトナム人に向かってベトナム戦争参戦のエピソードを語る姿には驚いたものの、彼を責める気にはあまりなれませんでした。
ベトナム側も、「当たり前」に、沢山のベトナム人がアメリカとの対米独立戦争(ベトナム戦争)に参加したわけです。国防のための戦争は、しないわけにはいかないだろうと考えています。そうでなければ、植民地支配もしくは属国扱いが永遠に続きます。もちろん戦争以外の手段を行使することができれば良いですが、相手国(アメリカ)が戦争を望んでいるのであれば、挑むしか選択肢が無いはずです。
ただ、果たしてアメリカによるベトナム戦争は、「当たり前」のことだったのでしょうか。本当に必要な参戦だったのでしょうか。私はとても懐疑的です。
戦争をしたい人が社会制度や世論を操って、無垢な人を殺人鬼にしていたとしたら、それは何としても止めたいと思います。
言葉裏腹に、ウクライナ戦争は未だに終わっていませんが…….
< 最後に >
当該記事は、現時点の筆者個人の意見を含めて主観的に記載しています。
筆者視点の内容である旨、ご了承ください。
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それでは、また。 🇺🇸