【ブラジル】今日も燃え続けているアマゾンの森林 – 無関心による破壊
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【ブラジル】今日も燃え続けているアマゾンの森林 – 無関心による破壊

「今、アマゾンの森が燃えている」と聞いて、あなたは驚きますか? いままでの人生の中で、森林破壊の問題について、どこかで耳にしたことがあるはずです。アマゾンの森に火を放ち、そこで農業をする「焼畑農業」と、それが国際社会で問題として取り上げられたということを。 そうなんです。なんとアマゾンの森は、今日も燃え続けています。(2023年11月現在) 今回は、私たちがアマゾン川流域に滞在した際に、現地の人から聞いた話に基づいて「アマゾンの森林破壊」についてご紹介します。 アマゾンの土地は痩せている 燃えている話の前に、まずはアマゾン川流域の土地について、お話したいと思います。 アマゾンといえば、広大な森林と雄大な河をイメージするかと思います。そして、鬱蒼と茂る緑から、アマゾンの土地が栄養価が高い肥えた土地だと思うことでしょう。アマゾン地域を畑にしたら、放っておいても草木がどんどん成長しそうですよね? 残念ながら、アマゾンの土壌に栄養価は殆ど無いんです。 理由は簡単。「植物が全て吸収している状態」からです。 アマゾンの森林では、 ・木々から葉が落ちる、老木が倒れる・葉や木が腐って栄養となる・栄養を使って木が育つ という循環を繰り返し続けています。 その循環の中にある「栄養」がどこに留まっているかというと、土ではなく、植物になのです。 「アマゾンを燃やして農業をする」と、さぞかし良い農作物が簡単にできるようなイメージを持っている方もいらっしゃるかもしれません。しかし残念ながら、焼畑農業をした土地を継続利用することは難しく、大量の肥料を購入して利用し続けないことには、農作物が育たない環境なのです。 アマゾンの森を通る道路から枯れてゆく アマゾンの土地が痩せているため、栄養循環の鍵が「葉や木が腐る」ということは、想像いただけたと思います。 そして「葉や木が腐る」ためには、湿度が必要です。実際に、アマゾンの森林の中は湿度が高く、菌類も繁殖しやすい状態だそうです。 一方で、人間の生活範囲を広げるために道路などを建設すると、道路と隣接する部分が外気に触れて、湿度が一気に低下します。道路に面している部分の森林は、乾燥して「葉や木が腐る」スピードが遅くなってしまいます。 <おまけ> ちなみに、2023年11月9日現在、アマゾン近郊のマナウスでは “酷暑警報”が発令されています。道路が焼けるような暑さになる事で、森林が保っていた水分がどんどん蒸発してしまいます。 私たちがマナウスに滞在していた期間、アマゾン川の水量が日々減少しているのを目の当たりにしました。 今、アマゾンの森が燃えている 今、本当にアマゾンの森は燃えています。(2023年11月現在)日々、燃えている/燃やされている状態です。 マナウス在住の友人によると、私たちがアマゾン近郊の街 Manaus マナウスに到着した1週間前は、アマゾンが燃えている煙で街の空気が霞んでいたそうです。 どのような理由で燃えているのか、2パターンに分けて見てみましょう。 理由1:自然に発生する森林火災 森林火災というキーワードを近年よく耳にするようになりました。2023年8月にハワイのマウイ島で森林火災があった事は、日本でもニュースになっていたと思います。 アマゾンの森林でも、森林火災は発生しています。本来であれば、高湿度を保っている森林ですから、森林火災が大規模になることは稀でした。ただ、前述した通り、道路などを多数建設したことが原因で湿度が下がってしまった部分は、大規模火災に発展してしまうようです。 理由2:人工的に発生させる森林火災 人工的に発生させる森林火災、それは「焼畑農業」です。森林を燃やして土地を開拓し、そこで農業を営む。ただし、問題があります。皆さん既にご存知の通り、「アマゾンの土地は痩せている」という事です。継続してその土地を使い続けて農作物を育てて利益を得るためには、大量の肥料を仕入れる必要があります。 とある店舗の所有者が「利益を二倍にしたい、何か方法は無いか。」と言った時、「簡単です。店舗をもうひとつ増やせば良い」と、答えた… なんて珍回答を聞いた事がありますか。(ありませんか。笑) そんな要領で、アマゾンの別の土地が更に燃やされるという事態が、今現在発生しています。 <補足> 実は、「焼畑農業」という手法は、最近始まったわけではありません。先住民族が伝統的に利用していた方法でした。しかし、資本主義に基づかないその伝統的な農業の方法は、持続可能な農業手法で、アマゾンの森林を減少させることなく人と森林は共存し続けていました。そして、現在でも焼畑農業を活用した持続可能な農業手法を続けている住民も多くいるそうです。 以下、先住民族の友人談アマゾンの森林を破壊しているのは、ドイツ系ブラジル人が経営する企業が多い。一辺倒に焼畑農業を批判するのではなく、先住民族が伝統的に続けてきた持続可能な農業手法は守りつつ、利益を追求するが故に発生する大規模焼畑農業は批判するべきだと思う。 ブラジル政府を変えられるのはブラジル人だけ と、思ったアナタ。残念ながら、ブラジルの選挙での投票権が無い限り、”直接的”に関与するのは難しいです。それは、現在のアマゾンの焼畑農業を推進しているのは、ブラジル国民に選ばれたブラジル政府だからです。 資本主義の社会で、富を求めて事業を行うのは普通のことです。アマゾンの土地も、富を求めて開発され続けるわけです。 マナウス在住の友人曰く、現在のブラジル政府がアマゾンの焼畑農業を完全に禁止する政策を打ち出す事は、現時点ではどうやら無いようです。 マナウス在住の友人はアマゾンの森林減少を危機感を持って語ってくれましたが、違う地域のブラジル人も同様に危機感をもっているかというと、そうとも限らないようです…。 社会問題と向き合う時に心に留めておくべき二宮金次郎の言葉 アマゾンの森林に関する問題をご紹介しました。「地球の肺」とも言われるアマゾンの森林を守りたい気持ちは山々ですが、「守ろう!」というだけでは解決しない問題だと思います。 モヤモヤする気持ちだけを与える記事になってしまったかと思いますが、ここで1つ二宮金次郎の言葉を書いて締めたいと思います。 道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は戯言である。 経済の観点が伴う問題解決策を唱えなければ、アマゾンの森が消えてなくなるまで、人間が吸う酸素がなくなるまで、残念ながら森は燃え続けるのだと思います。 (もしくは「森林破壊」が「道徳なき経済」と判定されて、犯罪行為として認められたらいいのか….難しいです。) ⚠️注意 筆者は、ブラジル社会の専門家ではありません。筆者が現時点で得た情報と、筆者の視点に基づいて記載していますこと、ご了承ください。 より深くブラジル史を知りたい方は、ぜひ以下の本をご参考ください。 ブラジルの歴史を知るための50章 伊藤…

【ペルー】マチュピチュへの行き方 完全版(最安ルート&快適ルート)

【ペルー】マチュピチュへの行き方 完全版(最安ルート&快適ルート)

Hola ! 🦙 大人気の観光地「マチュピチュ」、ペルーに行く時には必ず立ち寄るポイントだと思います。 一方で、アクセス方法は多岐に渡り、価格もルートによって全く異なり、はっきり言って煩雑です。 2024年版マチュピチュへのアクセス情報完全版記事を目指して、必要な情報をまとめて共有したいと思います! という方は、「3. 独力散策コースの詳細」をご覧ください! <注意⚠️> 記事の更新日時を確認の上、ご参考ください。当該記事が古くなり、現地の状況と齟齬が発生する可能性があります。 マチュピチュに行くために必ず通る3つの街 マチュピチュへのアクセスするために必ず経由する3つの街をご紹介します。 Cusco – クスコ インカ帝国の首都だった場所。「Cusco クスコ」ケチュア語で「へそ」を意味します。マチュピチュを目指す多くのツアー会社がクスコに点在しています。街を歩くと、キャッチのように「マチュピチュ行くかい?」と色んな人に声をかけられます。 クスコで有名なスポットと言えば、インカ帝国の太陽神殿。当時は沢山の黄金で装飾されていましたが、スペイン人が植民地化した後、黄金は全て略奪され、神殿は破壊されました。現在は、その神殿跡の上に、キリスト教の教会が建っています。街の標高は3,400mで、高山病には要注意! 日本から飛行機でアクセスする場合、まず首都のリマに到着し、その後クスコに向かうことになります。 Aguas Calientes – アグアスカリエンテス 街の名前はスペイン語で、「Aguas」は「水」、「Calientes」は「温かい」。つまり街の名前は「温水」!名前の通り、温泉があります。この村の初代村長は日本人の野内与吉でした。標高はCusco クスコよりも低く、2,000m程です。ここを拠点としてマチュピチュへ登り、マチュピチュ観光が終わったらまたこの街に降りてきます。 Machupichu – マチュピチュ 最後に目的地、「Machupichu マチュピチュ」です。 アグアスカリエンテスに行くためのルート2種類 クスコまでのアクセスは、大抵の人は迷うことは無いと想定。クスコを出発地点として、マチュピチュ村と呼ばれる「アグアスカリエンテス」までのアクセス方法をご紹介します。 1)独力散策コース2)楽々快適コース 独力散策コースは、バックパッカーに人気の最安ルートです。楽々快適コースは、移動時間・徒歩時間を最大限に短縮したルートです。 独力散策コース 時間がかかりますが、ツアーに参加せず、自力で行く最安ルートです。クスコから鉄道を用いずに、バスや車でAguas Calientes アグアスカリエンテスを目指すコースです。 移動時間:約8時間 クスコからマチュピチュまで 交通費:約3,600円/1名 片道 ◼︎為替レート2023年11月時点 1 SOL = 40円1 USD = 150円 道順と費用 詳細は、「独力散策コースの詳細」にて別途記載します。大まかな道順と費用は以下の通りです。 ・Cusco クスコ 🗺️ ↓ バス 20 sol…

【ブラジル】“本当の”ブラジル人が差別を受ける人種差別問題
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【ブラジル】“本当の”ブラジル人が差別を受ける人種差別問題

あなたが日本人で、日本で暮らしているならば、自分自身が人種差別されることは勿論ないでしょう。一方で、ブラジル人がブラジルで暮らしていても、人種差別を受けることがあります。先祖代々ブラジルで生きてきた、歴史ある由緒正しい家系の「本当のブラジル人」だったとしても。 今回は、ブラジル出身の友人が語ってくれたブラジルの人種差別問題についてご紹介したいと思います。 ブラジルの人種構成 ブラジルは、様々な人種で構成されています。街中を歩いている時も様々な人種と出会うことができる、いわゆる「人種の坩堝」です。2010年の統計では、構成比率は以下のようになっています。 ブラジルにおける人種構成 ◾️メモブラジルの人口における先住民族の割合は0.4%とかなり少ないということを、覚えておいていただけると、この後の話が理解しやすいと思います。 ブラジルの奴隷と移民 先住民族以外の人種は、主に1500年代以降にブラジルに渡った移民です。 現代社会でもなお、人種差別が色濃く残っている国は多々ありますが、ブラジルも例外ではありません。1500年以降に移民してきた白人の方が、「本当のブラジル人」とも言える先住民族の人たちよりも社会的立場が高いことが多いのです。先住民族だけでなく、黒人も同様に虐げられてきました。ポルトガルによる悪政により、世界で一番黒人奴隷を輸入していた国は、ブラジルだったことをご存知でしょうか。また、アメリカの奴隷解放宣言に続き、次々と南米各地で奴隷は解放されましたが、最も対応が遅かったのが、ブラジルだったのです。 300年以上続いた奴隷制度と白人至上主義の影響が、今なお残っているのが現在のブラジルです。 さて、実は日本からも、たくさんの人がブラジルに移り住んでいました。1908年の笹戸丸の集団移住を初めとして、沢山の客船が太平洋を行き来し、20万人を超える移民者を記録しました。 そんな疑問があるかもしれません。 悲しいことに回答は、一言で言うと「肌の色が黒人より明るいから」と言えます。ブラジルの歴史を振り返ると、ポルトガルに植民地化されて以降、国の政策等から明確に読み取れる程に白人至上主義が横行していました。 <おまけ> 豊臣秀吉がキリスト教を禁じた事は有名ですね。禁止した背景にはポルトガルやスペインの奴隷貿易があったことをご存知ですか。 豊臣秀吉は、イエズス会の最高責任者に以下の4つの質問状を送り、その後追放令を突きつけました。 <豊臣秀吉の質問状>一つ、なぜかくも熱心に日本の人々をキリシタンにしようとするのか。一つ、なぜ神社仏閣を破壊し、坊主を迫害し、彼らと融和しようとしないのか。一つ、牛馬は人間にとって有益な動物であるにもかかわらず、なぜこれを食べようとするのか。一つ、なぜポルトガル人は多数の日本人を買い、奴隷として国外へ連れて行くようなことをするのか。 もし、豊臣秀吉がキリスト教を禁止し、奴隷貿易を止めていなければ、ペルーのインカ帝国の神殿のように、日本の神社やお寺は全て破壊されてキリスト教の教会となり、メキシコのアステカ帝国の首都テノチティトランのように、徹底的に破壊されてヨーロッパ調の建物に建て替えられ、さらには、大量の日本人が奴隷になっていたかもしれません。 参考記事:「日本人の奴隷化」を食い止めた豊臣秀吉の大英断 インディオと黒人に対する人種差別 インディオ差別 「本当のブラジル人」と呼ばれるに相応しい、先住民族のインディオですが、人種差別の対象になっています。 インディオである友人が、数十万円するマウンテンバイクを購入する時の話。 マウンテンバイク店の定員の態度が客の肌の色で異なるといいます。実際に白人の客には、すぐに定員がアテンドして商品説明に励むのにも関わらず、インディオである彼には誰もアテンドしない。彼のことを無視して、誰も商品案内をしない。 彼曰く、それは日常茶飯事で、インディオである彼に対してもしっかりと説明してくれた店舗で、購入するようにしているとのことでした。 黒人差別 インディオである友人のクライアントだった、とある黒人系イギリス人の話。 黒人系イギリス人が「ブラジルは人種差別が酷い国だ」と憤慨していたそう。どんな差別を受けたのかよくよく話を聞いてみると、黒人であるだけで疑いの目をかけられるのだと言います。例えば、お店に入る度に、警備員が彼の後ろについてまわる等。他の人種の場合は、警備員は動かないのに、黒人である彼が入店すると、警戒してついてきたとのこと。 インディオの彼は、笑いながら「残念だけど、ブラジルではよくあることだ」と伝えたそうです。 現代社会 インディオの友人の視点 と私が言うと、彼は少し笑いながら答えました。 私たちの唯一の灯りである焚き火がパチパチと響くアマゾンの森の中で、それから、彼はこう言いました。 もうすぐ産まれる彼の娘が生きる時代は、更に良い時代になりますように。 そんな事を祈りつつ、私にできることは何かを考えながら、この記事を締めたいと思います。 ⚠️注意 筆者は、ブラジル史の専門家ではありません。筆者が現時点で得た情報と、筆者の視点に基づいて記載していますこと、ご了承ください。 より深くブラジル史を知りたい方は、ぜひ以下の本をご参考ください。 ブラジルの歴史を知るための50章 伊藤 秋仁 (著, 編集), 岸和田 仁 (著, 編集)  それでは、また。🇧🇷

【世界旅行】旅を開始して15日目にして発生!私たちの失敗談集

【世界旅行】旅を開始して15日目にして発生!私たちの失敗談集

Hi ! 🥰 旅をしていると様々なトラブルが発生します。笑 思いがけないアクシデントや、なんとなく心のどこかで予想していた事も、気が回らずにそのまま対応しないでいたら「事件発生!」となることもあります。 というわけで、今回の記事では、旅を開始して15日目にして、既に発生した事件を取り纏めます。笑 その1:「航空券の予約が完了しました!」のメールを信じてはいけなかった事件 海外旅行をする際に、航空券の予約は必須アクションです。 世界一周を始めてから、既に5回以上飛行機のチケットを購入している、私たちチーム「つばくらめ」ですが、いつも使っているサイトは「スカイスキャナー Skyscanner」です。 スカイスキャナーとは、航空券・ホテル・レンタカー等を多数のサイトから横断的に比較検索できるウェブサイトです。航空券の購入ステップは、以下の通り。 いつも通り、上記の購入ステップで、「ラスベガス→サンフランシスコ」の航空券を購入しました。使用したウェブサイトは、「e Dreams」です。(※おすすめしません!) ….と思っていたのですが、実は問題が隠れていました…笑 事件発生現場 発生現場は、アメリカ ラスベガス「ハリー・リード国際空港 Harry Reid International Airport」です。 ラスベガスの1日散策を終えて、サンフランシスコへ向かいます。予約完了メールを手に、空港に向かいます。 空港に向かいながら、そんな思いがよぎります。 というのも、「予約完了メール」の中には以下のような文言がありました。 自動で24時間以内に送付されるだろう、と甘く見ていました。メールの受信ボックスには、e Dreams から何も届いていません。 ただ、アプリでログインすると、画面上には、「予約完了済み」と書いてあります。 時間が限られていたので、とりあえず空港に向かうことにしました。 事件発生! 空港の受付で、予定していたフライトのチェックインをお願いすると、 担当者が私の名前、ズンの名前を確認しても、何も情報が出てこないと、言われました。 「24時間以内に確認メールを送付予定です。もし予約確認メールが届かない場合は、アプリを通してご連絡ください。」と記載されていたので、取り急ぎアプリを通して連絡しました。しかし、窓口は全てチャットボット。問い合わせても定型分が送られてくるだけで、予約状況の確認も何もできません。 残念ながら、”予約していた”飛行機は見送り、別のフライトを予約しました <メモ>Skyscannerから各社のウェブサイトを選ぶ際に、運営会社の評価を見ることができます。一番安いチケットを予約するために、「e Dreams」を使いましたが、サービス品質はかなり低いようでした。 「24時間以内に送付される」というメールが受信できていないことにもっと早く気が付くべきでした…今後は、安さだけでなく会社の情報も確認して予約するようにしたいと思います。 その2:「ベトナム人のビザ申請は不要です。」の記事は信じてはいけなかった事件 日本のパスポートは、世界ランキングで常に1位を争う強さと言われています。 実際に日本人が海外旅行をする時に必要なものは、殆どのケースで「パスポートのみ」です。もちろん、ビザが必要な国もありますが、手続きはとても簡単。 一方で、他の国籍の人は、様々な手続きを要することが多々あります。 私のパートナーはベトナム人なので、ベトナムのパスポートで世界を旅しています。日本のパスポートとは異なるため、別の国に入国する際は様々な準備が必要です。 手続きの例) 手続きに必要な書類の例)・銀行の残高証明書・日本の在留カード・入国する渡航チケット・出国する渡航チケット・旅程詳細・ホテルの予約証明書・直近5年間の無犯罪証明書 事件発生! メキシコ経由でエクアドル行きの飛行機を予約していました。 と、入念でエクアドルの入国条件を確認すると、「直近5年間の無犯罪証明書が必要」という情報が出てきました。 犯罪経歴証明書を発行するためには、日本の警視庁に直接赴く必要があります。・指紋を採取が必須・証明書の郵送は不可 さらに、申請してから2週間後に受け取り可能とのこと。 既にアメリカに渡航してしまっていたため、証明書の発行は難しい…ということでエクアドル渡航を諦めました🇪🇨確認不足による失敗です。涙 渡航を中止した後、滞在予定だった首都キトQuitoにて、大統領選の候補が暗殺される事件 (2023年8月10日) がありました。一般市民には被害は無かったため過剰に案じる必要はないのですが、情勢が不安定な国です。書類不備による渡航中止は残念でしたが、「現地を訪れずに社会情勢の理解を深める事ができたかな」と前向きに捉えています。 その3:「出国の飛行機チケットが必要です」で慌ててチケットを買った事件 というのは、旅人の中では周知の事実。…

【アメリカ】戦争に参戦して他者に危害を加えた事を、人生の誇りとする社会で良いのか
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【アメリカ】戦争に参戦して他者に危害を加えた事を、人生の誇りとする社会で良いのか

アメリカ滞在中に、現地の老人ホームや墓地を訪問する機会がありました。 その期間に筆者が感じた「戦争が功績となる社会」について、書き起こしてみます。 戦争が功績となる社会を垣間見た3つのエピソード 現役時代:軍人である事への誇り アメリカ滞在期間中、老人ホームにお邪魔する機会がありました。訪問したその施設で、80代〜90代のアメリカ人のお年寄りに出会いました。一緒にお喋りする機会があった数人の内、2名の方をご紹介したいと思います。 アメリカ社会では、「軍人であること」は、大変誇らしいことであるようです。 祝日として、戦没将兵追悼記念日 Memorial Dayや退役軍人の日 Veterans Dayが設定されており、そこでは大統領も含めて国民が軍人に対して敬意を払います。軍隊の仕事は、社会的に尊敬される職業と考えられているようです。 2人のおじいさん・おばあさんは、戦争の話をしていたわけでも、軍隊の話をしていたわけでもなかったのですが、自然とそれぞれのエピソードを語り始めました。自分の人生を語る際に、一番最初に話したいことが「自分自身の参戦経験」と「息子が軍隊で働いている事」だったわけです。 ちなみに… 軍人に敬意を払う祝日があるのは、アメリカだけではありません。筆者がパッと思いつくだけでも、フランス、ベルギー、スイス、イギリス、ロシア、ベトナム等、他の国にもあります。 日本では、戦争で亡くなった人を悼む日としては、祝日ではありませんが、8月15日の「終戦の日」が挙げられます。 退役時代:軍出身者への手厚い保障 軍人とその配偶者は、手厚い保障を享受する事ができます。戦争に参戦した実績がある退役軍人の方が、戦争に参戦していない退役軍人より手厚い保障となります。実際に戦争に参戦した軍人は手厚い年金を給付され、亡くなるまで一生その制度を活用できます。 また、老人ホームの施設の方の話によると、本人または配偶者が軍隊出身であることは「ラッキー」であるようです。一般のお年寄りがお金の扱いを誤ると生活苦になる可能性もあるのに対し、退役軍人とその配偶者は国の手厚い保障のおかげで、経済的に困窮する事はまず無く、安心して老後を過ごす事ができるとのことでした。 死後:墓石の功績に「参戦」 戦争に参加したことは、「功績」となります。 親戚のお墓参りをした際、近隣の墓石に戦争への参加を功績として刻んでいるのを多く見かけました。 実際に記載してあった戦争の名前 と、思った方もいるかもしれません。 ただ、墓石に記載されている年号を見ると、戦争が原因で亡くなったわけではないことが分かります。 戦争参戦を誇りに思っているアメリカ人に覚えた違和感 前提 私のパートナーはベトナム人なので、私はベトナム視点の歴史を学び、近代史の理解を深めました。さらに細かくお伝えすると、北ベトナム視点の歴史を学びました。その影響もあり、戦争の歴史を取り上げる場合、アメリカの行為を批判的な視点で捉える事が多いです。 アメリカ軍によるベトナムの一般市民の殺戮は悲惨なものでした。例えば、一般市民が暮らすハノイ市全体への大量爆撃(北爆)、枯葉剤による攻撃(枯葉作戦)などが挙げられます。 2023年9月現在継続しているウクライナ戦争に関して、アメリカが「ロシアは非人道的だ。」というコメントを発していますが、私は不信感を抱きます。正しいコメントであるとは思いつつも、「アメリカはそんなことを言える立場なの?」と、アメリカが侵してきた戦争犯罪の数々を鑑みると矛盾したコメントであると感じています。第二次世界大戦中の日本に対する空襲や原爆投下等のアメリカの行為は、『民間人に対しての殺戮』であり、国際法違反、すなわち戦争犯罪であった事を、ここで言及しておきたいと思います。(敗戦国の戦争犯罪は問題とされますが、戦勝国の戦争犯罪は基本的に常に免罪です。) 参考:「戦争犯罪」という言葉に馴染みがない方のために、Wikipediaの記述を引用します。 戦争犯罪とは、狭義には戦争に関する法(国際法など)に違反する行為(交戦法規違反)と戦時反逆罪(作戦地・占領地内における非交戦者による利敵行為)を意味し、広義には交戦法規違反に加え平和に対する罪・人道に対する罪を含めた概念を意味する。 具体的には、他国に対して侵略戦争を仕掛けたり、敵兵・捕虜に対して非人道的な扱いをすることなどである。また、民間人に対しての殺戮・追放・逮捕など、紛争や混乱の誘発や報復感情の拡大の原因となる行為と言動も、戦争犯罪であるとされている。(以上「戦争犯罪」の項より引用) 戦争に参戦し、他者に危害を与えた事を人生の誇りとする社会で良いのか 老人ホームのおじいさん・おばあさん達は、皆さん朗らかで優しい方でした。私たちとすれ違う時は、いつも和かに挨拶してくださいました。 そんな優しいおじいさんの1人、「補聴器をつけた和かな優しいスラリとしたおじいさん」は、自己紹介を少しした後に、ベトナム戦争にB52を操縦して参戦していたことを語りはじめました。目の前にベトナム人がいるにも関わらず、誇らしげにパイロットとして参戦した事を語り出したのです。 私は、衝撃を受けました。 おじいさんが操縦していたであろう機体:ボーリングB52戦略爆撃機 ベトナム戦争に参戦して、B52を操縦していたならば、残虐にも大勢の民間人を殺すミッションを担った可能性が高いです。 終戦後に自分が参戦した戦争の意味はなんだったのか、自分が参戦した戦争でどれほど現地の人が被害を受けたのか、全く知ろうとしないのでしょうか?もしかしたら、目の前にいるベトナム人の家族を自分が殺してしまった可能性は想像しないのでしょうか? もしかしたら、彼は、数分前に伝えた「ズンがベトナム人である」という情報を忘れてしまっていたかもしれません。 実際、老人ホームの皆さんは、お年を召している事もあり、同じ話を何度もされたり、同じ質問を何度もされたりすることもありました。例えば、とあるお婆さんには「日本でどんな仕事をしているの?」と3回聞かれました。 もしかしたら、戦時中は与えられたミッションを達成するために行動していたのであって、ベトナムの歴史背景やベトナム人が被った被害等は、彼にとっては全く関係なかったのかもしれません。 映画「トップガン マーヴェリック」を思い出しました。 「トップガン マーヴェリック」の映画では、”敵国”に関する情報がかなり少なく、「倒すべき敵」「相手の行為を止める」としか言及されていませんでした。ミッションを担ったアメリカ人のメンバー達は、命懸けでそのミッション達成を目指しますが、”敵国”が受けた被害や、今後の”敵国”の動きや政治などは一切語られません。 この投稿をInstagramで見る トップガン(@topgunmovie_jp)がシェアした投稿 ベトナムは、戦争に勝利したにも関わらず、アメリカからの賠償金は無く、さらにはアメリカから経済制裁をかけられた歴史があります。戦争で苦しんだベトナムの民間人の補償はないのに、民間人を殺したアメリカ側は、亡くなるまで手厚く補償されるとは…なんとも皮肉なものです。 彼がいつか亡くなった時には、墓石に「ベトナム戦争参戦」と功績として刻むのだと思います。 アメリカが、「参戦したことを誇りに思わせてくれて、且つ参戦した人を大切に保障してくれる社会」なんだと改めて痛感しました。 戦争が無くならない理由が少し見えたような気がして憤りを覚えた筆者ですが、一方で、そのおじいさんには、ベトナム戦争の被害のことなどは一切話しませんでした。また、ベトナムの歴史博物館に、アメリカのB52がひっくり返っている写真を彼に見せませんでした。 おじいさんに見せようか一瞬頭を過った写真ベトナム軍事歴史博物館の展示:追撃されたアメリカのB52 90歳近い彼にそれを伝えたところで、彼の人生を否定してしまうことになるし、穏やかな日々を老人ホームで過ごしている彼が傷ついてしまうかもしれないと考えたからです。 私がもし、彼だったら。その時代のアメリカに男子として生まれていたら。私も高校を卒業してから同じように入隊し、ベトナム戦争でB52を操縦していたかもしれません。…

【ボリビア】 ラパスから車で30分で行ける絶景!Valle de Las Animas 魂の谷

【ボリビア】 ラパスから車で30分で行ける絶景!Valle de Las Animas 魂の谷

Hola ! 🇧🇴 ボリビアの「ウユニ塩湖」を目指して、ボリビアの首都 La Paz ラパスに辿り着く方が多いと思います。ラパスでの散策を楽しんだ後、もし時間に少し余裕があるならば、ラパスから少し足を伸ばすと、ウユニ塩湖とは全く異なる絶景に出会うことができます! 今回は、「Valle de Las Animas 魂の谷」を行き方・景色を含めてご紹介します! <注意⚠️>登山には様々な危険が伴うので、必ず登山のための適切な準備をしてください。難易度の高い山は命の危険を伴うので十分に注意してください。 魂の谷の景色 という方、まずは写真を「Valle de Las Animas 魂の谷」の絶景をご覧ください! ラパス市の保護区に指定されている「Valle de Las Animas 魂の谷」は、標高約3,900mに位置しています。 魂の谷とは スペイン語の正式名称「Valle de Las Animas」は、単語の意味を確認してみると以下の通り。 日本語にすると「魂の谷」と訳すことができます。 由来は、「一つ一つの岩が霊魂のように見えるから」、「谷を抜ける風が霊魂の声に聞こえるから」等、複数説があるようですが、そう聞くと少し怖くなります。笑 魂の谷の場所 「Valle de Las Animas 魂の谷」の位置 2020 年の時点で人口が 816,044 人と推定されている La Paz ラパスは、ボリビアで 3 番目に人口の多い都市です。そのLa Paz ラパスの街の南東部に「Valle de Las Animas 魂の谷」があります。 La Paz, officially…

【メキシコ】メキシコ人の大歓迎に圧倒!ルチャリブレ観戦編

【メキシコ】メキシコ人の大歓迎に圧倒!ルチャリブレ観戦編

Hola ! 🇲🇽 メキシコ出身の友人に大歓迎されたエピソードを前回の記事でご紹介しました。 今回は、「Episodio 2」です。メキシコシティでの旅の嬉しいエピソードの続きをご紹介します。 友達の友達の従兄弟と、一緒にスポーツ観戦! メキシコ人に愛される格闘技「ルチャリブレ Lucha Libre」の観戦のお誘い メキシコ人に愛される格闘技「ルチャリブレ Lucha Libre」の観戦のお誘いメッセージを、友達の友達の弟にもらいました。 実は、「ルチャリブレ Lucha Libre」を私たちは全然知らなかったし、私は、格闘技は見ているだけで痛々しいので苦手なのですが、彼曰く、メキシコで大人気のスポーツだそうで、折角メキシコシティにいるんだから見たほうが良いとのこと。 というわけで、すぐに一緒に行く約束をしました。 ちなみに、「友達の友達の弟」からメッセージをもらって、一緒に出かける約束をするって、日本人の間では絶対起こり得ないと思うのは私だけでしょうか。笑もちろんそんなシーンがあったら、嬉しいですけれど。笑 メキシコでは、滞在2日目にしてそんなシーンが発生しました。 友達の友達の従兄弟と合流! 当日、ズンと私は、友達の友達の親友(空港に迎えに来てくれた兄さん)と合流し、Arena Mexicoに向かいました。 <メモ>ここまでくると、「登場人物の関係が分からない!!」となっていると思うので、ちょっと整理。 私たち 🇻🇳🇯🇵・ずん・千晶 メキシコ友達 🇲🇽・友達の友達:Dany ←私の親友から紹介してもらった兄さん 空港まで来てくれた&アパートに泊まらせてくれた・友達の友達の親友:Martin ←滞在中に一番仲良くさせてもらった兄さん 空港まで来てくれた・友達の友達の弟:David ←Danyの弟 タコス屋さんで待っていてくれた兄さん・友達の友達の従兄弟:Hugo どんどんどんどん紹介されて一緒に遊びに行って、みーんな友達になります!笑(すごい楽しい!) 「アレーナメヒコ Arena Mexico」会場に着くと、Davidからメッセージが届きます。 そんな思いも束の間、会場の熱気に包まれながら、Martinとずんと私3人で、Hugo探しが始まります。 チケットあげるよ! 無事にHugoと合流すると、Hugoと一緒にいた友人を紹介されます。Hugoの彼女と、Hugoの友達と、その彼女です。1人の友達から、友達の輪が文字通りどんどん広がっていきます。その広がりの速さに圧倒されます。 Hugoの彼女は、自分の友達と別の席を予約しているとのことで、少しおしゃべりした後、別れました。 少しのお喋りの間も、ズンと千晶のメキシコ滞在期間が楽しいものになるように、Lucha Libreを思い切り楽しめるように!と何度も言ってくれました。 <メモ>登場人物が増えたので再度、整理。笑 私たち 🇻🇳🇯🇵・ずん・千晶 メキシコ友達 🇲🇽・友達の友達:Dany ←私の親友から紹介してもらった兄さん 空港まで来てくれた&アパートに泊まらせてくれた・友達の友達の親友:Martin ←滞在中に一番仲良くさせてもらった兄さん 空港まで来てくれた・友達の友達の弟:David ←Danyの弟 タコス屋さんで待っていてくれた兄さん・友達の友達の従兄弟:Hugo・友達の友達の従兄弟の彼女:Marcia(名前うる覚え!ごめん!) New・友達の友達の友達:Cristopher(名前うる覚え!ごめん!) New ・友達の友達の友達の彼女:Perla New Hugoからチケット渡されました。プレゼントだと言います。チケット代を払わせて!と言っても、要らないよ!と。チケット代も払わせてくれません。涙 隣にいたMartinも、「いいんだ、いいんだ」と言いながら、会場に入るための列に並ぶように誘導してくれます。 私たちのために、いっぱい解説! 大衆に流されながらチケットに記載された席に辿り着きました。爆音を背景に選手たちが入場し、観客に向かって何かを叫んでいます。選手の叫び声に合わせて、観客も叫びます。 ものすごい熱気で会場が包まれる中、ついに試合が始まります。 ルチャリブレの初心者向けルールは、以下の通り。 その後もMartinが、ルチャリブレについて一生懸命解説してくれました。勝ち負けの判断基準、有名な選手の名前、選手の国籍、大技、などなど。…

【メキシコ】メキシコ人の大歓迎に圧倒!友達の友達は友達編

【メキシコ】メキシコ人の大歓迎に圧倒!友達の友達は友達編

Hola ! 🇲🇽 日本の外国人観光客に対して、「お・も・て・な・し、おもてなし!」なんて、日本人のホスピタリティが話題になることがあると思います。 が!しかし! メキシコ人の大歓迎パワーは圧倒的です!! 今回はメキシコ出身の友人たちが大歓迎してくれたエピソードをご紹介します。 大歓迎されすぎて、圧倒される まだ会っていないけど「迎えに行くよ!」 メキシコシティに着く数日前、私の親友が「メキシコシティに友達がいるよ!」と言って紹介してくれました。私はまだ会ったことがない、新しいメキシコ人の友達は、早速Whatsappで連絡をくれました。 <メモ>Whatsappとは、日本のLINEのようなメッセンジャーアプリ。LINEよりもユーザーが多く、世界でより広く使われています。メキシコでも主流のアプリのようです。 いきなりの寛大な提案に、ズンも私も面食らいます。まだ会ってもないのに、本当にお言葉に甘えていいのでしょうか… 遠慮は要らない? 紹介してくれた親友の偉大なパワーを感じました。笑(本当にありがとう) 空港での弾ける笑顔「ようこそ!!」 そして本当に彼は、彼の親友と一緒に空港まで迎えに来てくれました。 弾けるような笑顔でそう話す彼らと、「はじめまして」の自己紹介をお互いにしてから、彼の車に乗り込みます。 車で移動し始めると矢継ぎ早にメキシコの紹介をし始めてくれました。頼んでもいないのに観光ガイド!ものすごい嬉しそうに、色んなことを語ってくれます。 と、こっちが思うくらいの大歓迎。完全に圧倒されてしまっています。笑 タコス屋さんへ!「地元民に愛されるタコスを食べて!」 そして、彼らがおすすめの地元のタコス屋さんに着きました。観光地にあるタコス屋さんより、地元民に愛されるタコス屋さんで食べるほうがいいでしょ〜!と楽しげに語りながら入店。 すると、彼の弟が待っていたではありませんか!! また、「はじめまして」と挨拶を交わし、弟さんも色々話を聞かせてくれました。日本に旅行に来たことがある彼らは、日本で観光した場所や面白かったこと、驚いたこと、覚えている日本語、自分の趣味、日本風のタトゥー、などなど… 楽しくて明るいメキシコ出身の3人に囲まれながら、ガヤガヤと地元の人で賑わうタコス屋さんで、今までの人生で食べたタコスの中で一番美味しいタコスをいただきました。 そして、彼らは会計の時に払わせてくれなくて、ご馳走してくれました。汗 ひとこと メキシコシティ到着当日からメキシコ人の大歓迎に圧倒されていましたが、これ以外にも大歓迎エピソードがたくさんあります。兎にも角にも、メキシコが大好きになりました。そして私もいつか日本を訪れる友人がいれば、同じように歓迎してあげられるようになりたいな、と思いました。(しばし旅に出ているので、いつか日本に帰国してから… 😀 ) 他の嬉しい歓迎エピソードもちょっとずつ書いて行こうと思うので、お楽しみに。 <ちなみに> 次の日、私は下痢の症状に見舞われます。笑一方でベトナム出身のズンは、へっちゃら。 地元民に大人気のお店で、あんなに美味しかったのに。「私のお腹はどうなってるんだ!」と、自分のお腹の弱さに悲しくなりました。笑(今までずっと、お腹強い方だと思ってたんだけどなぁ。) それでは、また!

【ハワイ】2023年8月ハワイの物価が高すぎる – 食品編

【ハワイ】2023年8月ハワイの物価が高すぎる – 食品編

Hi ! 円安が叫ばれている今日。日本で働いて稼いだお金で旅をしている私たちにとっては、円安はとっても耳が痛い話です😔 日本人の給与が上がらないと問題視されると同時に、日本も物価高が話題になっていますが、ハワイの物価と比較すると、日本の物価はかなり安いです。涙 今回の記事では、私がランダムに撮影したハワイの物価を一部ご紹介したいと思います。 <為替レート> 当該記事の為替レートは、2023年8月18日現在のレートを利用して計算しています。 1ドル:145.42円最新のレートはこちら 第1弾:食べ物 卵の価格が大変なことになっています…12個で1118円です。もはや高級食材?涙 日本の平均給与を受け取っていた場合、ハワイで暮らすのは難しそうです。(悲) 第2弾:飲み物 飲み物の中で一番衝撃だったのは、水のボトル。1本300円越えです。陳列されていた水の中で一番安いものが300円以上。私はホテルのウォーターサーバーを活用していました。 終わりに 日本人に大人気の観光地であるハワイですが、円安と物価高で気軽に行ける旅行先では無くなってしまったようです。ワイキキビーチで日本語を聞くことは2回ほどありましたが、その他は全く聞こえませんでした。一方で、ちょうどバカンス期間と重なるためか、フランス語は沢山聞こえました。 実際に、ハワイでジュエリー店を開いてるイタリア人女性と知り合いましたが、「昔と比べて日本人の観光客が減ってしまった」と言っていました。 「コロナが明けたので戻ってくるといいんだけど」と言っていましたが、円安が続く限り難しいのではないかと思いますがどうでしょうか…。 それでは、また🌺

【アメリカ】人々が優しすぎる!心温まるエピソード3選
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【アメリカ】人々が優しすぎる!心温まるエピソード3選

Hi ! 🥰 世界旅行をし始めて、15日が経ちました。沢山の人と出会う中で、「感動的に優しい人」に何度も出会っています。 と、筆者が思った瞬間を、一挙ご紹介しようと思います。 今回はアメリカ編です! 第1弾:運転席から飛び出して、ビニール袋を追いかける! 優しさエピソードの発生現場 オロマナスリーピークスハイクを登頂し、絶景を思う存分楽しんだ私たちは、ホテルに戻る前に「カメハメハハイウェイ」を走るバスの車窓から見えた綺麗な公園に寄って休憩することにしました。 その公園とはこちら!「クアロア・リージョナル・パーク Kualoa Regional Park」です。 平日だったのですが、家族連れや老人夫婦などが少なくとも10組程いました。観光客は少なく、地元の人がのんびり過ごしているように見えました。 陽が当たる場所にいると暑いですが、木陰に入れば暑さを感じず心地よく過ごせる気候でした。(2023年7月下旬頃) 優しさエピソード 私が、ビニール袋からサンダルを出して、海に入れるように登山靴からサンダルに履き替えていたその時!サンダルの重しが無くなったビニール袋が風に乗って飛び立ちます。 上記の写真の椰子の木の葉が風に靡いていることから分かる通り、結構な風が吹いていました。サンダルに履き替えた私は急いでビニール袋を追いかけます。 一生懸命走って追いかけているのに、中々手が届かず(笑) 「ビニール袋」とは、本当にただのスーパーのビニール袋です。側から見れば、ただのゴミ袋が風に飛ばされているような情景です。 海辺の方から山の方へ飛ばされたビニール袋はついに駐車場まで到達。私はビニール袋を追いかけて、駐車場の方へ向かいます。ビニール袋は悠々と駐車場を超えて、反対側の芝生の方へ飛んでいきます。 すると、駐車場出口に向かって走っていた車が突然停止します。 運転手が車から出てきました!! ビニール袋を追いかけてくれています! 道路の反対側に飛んでいったビニール袋を運転手がジャンプして、見事キャッチ!! さらには私の方に向かって小走りでビニール袋を持ってきてくれるではありませんか!! と、だけ言葉を交わして、彼はそそくさと車に戻り、公園の駐車場を出て行きました… 優し過ぎませんか!!! 私が運転手だったら、車を止めて、運転席を離れて、飛ばされている「ゴミ袋」を取ってあげるだろうか…. きっと、「わー!風が強いから大変だー!がんばれー!」くらいで、眺めるだけに違いありません。 <反省> 私も、もっと積極的に人を助けるように行動できる人になろうと、心に誓いました。 <優しいエピソード第1弾:終わり> 第2弾:「3ドル足りないの?ほら、あげるよ!」 優しさエピソードの発生現場 次の心温まる優しさエピソードの発生現場は「ダニエル K イノウエ国際空港 / ホノルル国際空港 Daniel K.Inouye International airport」です。 初めてのハワイにワクワクしながら、市街地を目指してバスに乗り込みます。 優しさエピソード ホノルルのバスは全て、「現金払い 大人3ドル」です。乗車しようとしたところ、前に乗り込んだお客さんが運転手と話しています。 大変です、私たちも20ドル札しか持っていません。私たちも両替しなきゃ…と思っていたら、 なんと車内に既に乗り込んでいた2人のお客さんが、募金のように、前に乗り込んだお客さんにお金を渡し始めるではないですか! 優しい!!! 日本で、お金がなくてバスに乗れない!という時、みんなでその人を乗せてあげるためにお金を出し合うでしょうか….少なくとも、東京では絶対見られない風景です。(というか、お釣りが出ないなんてバス、今時日本にはありませんね笑) <ちなみに> 私たちも、まさかバス運賃を支払う際にお釣りが出ないとは思っておらず、20ドル札しか持っていませんでした。 他のお客さん「今の1ドル札が最後だったの….汗」 と、前のお客さんと同じように3ドル手に入れることはできず笑 すると、…